米トランプ大統領(本稿執筆11月3日時点)がダウンロード禁止を表明した中国のチャットアプリ「WeChat」。その後、カリフォルニア州の連邦地裁が米大統領令の執行を差し止めたため現在もダウンロードできる状況が続いている。
実は、WeChatは単なるチャットアプリではない。中国政府が考える“正義”を実現するための「万能国民管理アプリ」と表現したほうが適切だ。その自画自賛の中国式正義を他の国へも広げることが中国にとっての利益になるという前提で動いている。
トランプ大統領は、WeChatを通じて個人情報が中国政府へ流失していると懸念を示し、大統領令を発している。すでにインドはWeChatを含む59の中国製アプリを禁止しており、今後、日本でも禁止される可能性がある。
WeChatとLINEの決定的な違い
WeChat=中国版LINEは間違い?
そもそもWeChatとは何か。日本では「中国版LINE」と紹介されることがある。しかし、薄緑のイメージカラーと、チャットアプリ機能からスタートした点を除けば、LINEとは似て非なるものだ。機能面でもWeChatがLINEを凌駕している部分は多い。
WeChatは中国国内版「微信」として2011年1月21日スタート(海外版であるWeChatは4月にリリース)した。開発したのは、中国の大手I T企業であるテンセントだ。LINEは同年6月23日スタートしており、実はWeChatの方がLINEより先にサービスを始めている。
WeChat(本記事では中国国内版の微信も含めてWeChatと表記)の月間アクティブユーザー数(MAU)は12億人を越えている(2020年6月、テンセント発表)。LINEは2億300万人(2019年10月、Statista発表)となる。
LINEの約6倍ものMAUを誇るWeChatだが、その内訳は中国国内ユーザーがほとんどである。中国でのスマートフォン利用者は8億9700万人(2020年3月、中国インターネット情報センター)。複数台所有する人を除きほぼ100パーセントの中国人がWeChatをインストールしていると考えてよい。すると、中国以外の国でのユーザーは3億人ほどと推測される。それでも全世界でのLINE利用者よりも多い人数であることに変わりはない。
WeChatとLINEの大きな違いは、チャット機能の使い方である。LINEは文字を使ったトーク利用が多いが、WeChatはトークよりもボイスメッセージでのやり取りが主流となる。そのため、中国ではスマホをトランシーバーのように耳に当てている人をよく見るが、ボイスメッセージを聞いている光景だったりする。
WeChatが「中国国民必携」となった理由は
中国政府による外国製アプリの規制
今ではWeChatが中国国民必須アプリとなったが、インストールは自体は義務ではない。実は中国政府がコツコツと外国製のチャットアプリを規制して事実上禁止することを積み重ねた結果、今の独占状態を築き上げたのだ。
たとえば、米系の「メッセンジャー」「WhatsApp」は配信当初から規制されていたが、「スカイプ」、韓国製の「カカオトーク」、「LINE」のコミニケーションツールは使用できた。元々は中国在住の外国人や中国企業とやりとする日本人はわざわざWeChatを使う必要はなく、スカイプやLINE使っていた人も少なくなかった。
だがその後、規制が強化され外国製チャットアプリで生き残っていたLINEは、2015年春にはほぼ規制されて使えなくなった。
現在でもスカイプは利用できる。しかし、通信負荷がかけられているのか、メッセージが遅延するなどリアルタイム性が大幅に低下したため、中国企業や中国人とやり取りする日本人はWeChatへの移行を余儀なくされた。
なぜスカイプは利用できるのか?スカイプは中国でも広く利用されているOS「ウィンドウズ」を手がける米マイクロソフトが運営していることもあり、配慮されていると見られる。
ただし、マイクロソフトは独自の中国版スカイプを容認して落としどころをつけている。中国版のスカイプは、見た目や使い勝手は通常のスカイプとほぼ同じだが、バックドアが設けられている。つまり、中国政府が「治安維持」を名目にチャット内容などを監視することができる仕様とされる。
中国国内の一般の通信網で、日本語でスカイプと検索すると強制的に中国版スカイプのページへ飛ばされて中国版スカイプしかインストールできない。
進む中央制御と監視
インターネットでも同様の動き
このようにWeChatのライバルとなる外国製チャットアプリが次々と禁止されて選択肢がなくなった結果、WeChatの独占状態が完成したという経緯がある。
これは中国のインターネットサイトと同じ傾向だ。現在、中国ではホームページを持たない会社が増えている。または過去持っていたが廃止した会社も多い。SNS「微博(ウェイボー)」やWeChatアカウントをホームページ代わりにしている。
中国では、インターネット自体のスピードは高速化されているが、これは主に国内サイトの話で、海外サイトへは中国政府が負荷や規制をかけて重くしている。電子メールも同様で、例えば海外の「Gメール」は使用が規制されておりアクセス禁止、「ヤフーメール」や「ホットメール」は現状かろうじてアクセスできるが、非常に重く通信速度が不安定になっている。
一方で、国内SNSは非常に高速で快適にやり取りができる。そのため、相対的に不便になった電子メールを止め、SNSをメール代わりに利用するようになっている。
中国政府は十数年にわたり自分たちが制御できない海外サイトやサービスへ負荷や規制をかけて不便にした。その結果、相対的に便利になった国内サービスへの移行が一気に進んだ。
こうして中国政府は自分たちで中央制御、監視ができる国内サイトやサービスへ集中させることに成功したわけだ。
コロナ禍で加速した
WeChat経由の「国民管理」
他の海外ライバルアプリを排除することで独占に成功したWeChatは、今年の新型コロナでさらに老若男女に必須の唯一無二の存在となった。
それは健康IDと呼ばれる自身の健康情報を示すIDがWeChatと紐付けられたからだ。WeChatにはすでに身分証明証(マイナンバー相当のID)や「WeChatペイ」を利用するための銀行口座も紐付けられている。
今年の春先、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、タクシー利用やスーパーマーケットへ入店するときにこの健康ID提示が必要となる機会が増えた。
WeChatはまさに生活必需品となったのだ。そのため、これまで利用していなかった高齢者もWeChatが必要となり、家族が必要な操作を教えることに。新型コロナ禍で中国政府が計画した「WeChat=万能国民管理アプリ」への基盤は完成したと言っていい。
これにより中国政府は、約9億の国民の会話・行動・購買履歴まで監視することができるようになった。かつての中国は、人間による相互監視などに基づいたアナログ監視社会だったが、現在は、アプリや監視カメラ、ドローンを駆使した三位一体での総合デジタル監視社会がほぼ完成しつつある。
中国政府は、国民の娯楽、ガス抜きのように思えるWeChatを、強力な監視、検閲が実現できる万能国民管理アプリへと成長させた。中国はこれを中国式正義として監視カメラやドローンなどとセットにして世界へ輸出する動きを加速させている。

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